昭和40年02月13日 13日会 共励会
13日会を始めさせて頂きます。只今親先生から御理解を頂きましてから感じる事でございますけれども。先生が大変そのうお御苦労をされながら、こうして分かった様な分らん様な信心をそのう進めて参っておる訳でございますけれども。そのう一人一人に私達がおかげを頂いておる事をそのう、自分で分かれば分かるだけにそのう、あまりにもその素晴らしい事になって参っております。これはお互いがまたそれ程までに意識しておるかまぁどうかと言う事はこりゃ別と致しましてから。
夕べあのう私のお祭の後で田中徳子さんと言うて、皆さんもご存じと思いますけれども、その方のお届けをさして貰いました。この方は今から10何年前椛目に御神縁がありましてから、始めてここにあのうおかげを頂きました時に、先生からあのう逆らって、あのういろいろにございまして、三月はいしてあのう坂の段、あのう「おその」という非常にこのう不幸な人がおるんですけども。その人を頂かれた方でございました。その時はとてもあのう夫婦仲は良うございましてから。
本当に親先生の前に出からんようにしたんです。私の方で限ってそんな事はございませんち、ところが実際もうその通りに成りましてから、その老人と別れられましてね、まぁ別れると言っても捨てられたんでございますけれども、子供が一人あのう一成というのが居りましてから、おかげでこの子が大学を青年部でございまして、出ましてから東京の方に就職します時に、ここの親先生にお届けに出たんでございます。
そん時に親先生から、あなたが東京に行ってせいうんをこやしさせて東京に出るんだからね、たぶん成功するだろうばってんね、お母さんと、お母さんと生活する事もおかげよち言われたそうです。それでその東京に行きますと大変まぁ苦労したんでございますがら、苦学をしましてね、がその後それがどうも忘れられずに、福岡の方に帰ってきまして、それで今お母さんと二人で生活をしとるんでそうです。
そのう生活してる一成さんがですね、先日から朝参りをするのにわざわざ会社の自動車を借りて来て、お母さん明日あのう朝参りするなら僕が送って行くよちゅうてから、何か4時頃から起こしてくれて椛目にお詣り頂いたと言う事です。こりゃ私のお兄さんと言う方が三菱の大きな会社の社長しとるんでございますけども。そのお兄さんが言われたそうでございまして、その時にそのうそこに呼ばれましてね、言う事がですねその事をそのう叔父さんに言うそうです。
そのう一成さんと二人出会われてから一億と言う金があすこにございますから、そこに常夜灯がございますからそこに行かして頂きましてね、そのう言う事がね、僕はもう本当に尊敬しとる人がおると言うとるね、このよはつちは言わんけれども誰も知らん、誰のこと言うやろかと思うたところがその椛目の先生のごとであったちいうんです。もうそのう言う事やる事がですね訳は分かりませんけれども、そのう段々言う様ななにか私は話を聞きながら、涙を出して一緒に聞いた訳でございますけれども。
そのそういう意味がもうどこの方の話を聞いても、子供がねそういう素晴らしい成長をそのしておる訳でございます。主人と別れる様な運命でありました田中さんがです、その一成さんの親孝行と言いますかしかもその信心を椛目を中心にしました、椛目の教えを中心にしました様にすくすくと伸びてですね、会社の方から大変喜ばれてからおかげを頂いていきょるです。先ずそのだい夕べは大森さんのやっぱり、安東さんとまいろいろお届けありょりましたけど。
一人一人の上にですね、まぁなんとも言えない働きがそのう始まって来た事は、しかもその始まっておるのはとうの昔から始まっとったんでございましょうけども、それが段々このね表面に出て来ました、その喜びを皆さんが感得していきょるです。であぁた達のまぁでも皆さんの場合でも同じと思いますけども、ただ自分でそれをどの程度に意識とるやらねそのう分りません、しかしそのうどの問題を取り上げましてもです、それがこの間あの徳ちゃんの話を聞きましてもおめでとうございますけどもね。
どの問題を取り上げましてでもそういうものが今、その河辺で本当の助かりと思うです、そういうものが段々ここに生れておる訳でございます。だがその反面に大変な問題もまだそこにある訳なんです。例えば桜井先生の問題なんかもそのしんでございますけれども、もう椛目の縁を切るか帰って来るかと、椛目の信心はまるでねもう間違えかのようにそのう言われるんです。夕べ私その話を聞きょりまして頂くのはですね、もうこんな広々としたそのう松原があるそうです。しかもこの松。
もう松のもうものすごい松がここに一杯繁ってあるんです、そこにこの真ん中にですね、こう言う風なあのコンクリートブロックをこう作ってるんですね。でこっちらが嘘こっちはほんな事言うてもですね、生えておる物がもうひとつも変らんです。どこの信心これが間違ってるとかねこれがいいとかと分らないですが、人間が自分で勝手にブロックの上をしましてね、こっちはほんなもんこっちは嘘と言いよるだけで、がつそのものは神様そのものは、もう大地の自然の中にもう一杯っこう繁っておる訳なんです。
これをそのう嘘とかほんととかここは間違ってるとか、あれも間違いにこれも間違いのない働きの中にある私達がですね、そのただ自分の信心でせきをして、これが違うとか、これは俺のもんとか、と言う様なそのものがある。そこをそのうどうしても、本当なものになして行きまする働きをですね、そういう様な働きの、まぁ一まぁ今日位一ごに尽きませんけれども。
そこを一つなんとかなんとか皆んなが立って、立ち行きますようなひとつ信心にしていくという、神様からの働きが変わると言う一つの、親先生を通じて今始まっておる訳でございまして、そこにもういろんな問題がじょせき良いようでございますけど、そりゃどこまでも今例えぜんけいといったと申しますかね、本当にこのお道で生神金光大神の道で、助かる道を変るのは、あるところを通じましてね、修行を親先生の修行を煩わして、しかも本当から本当にという段階にあるそでございます。
それを私達の詰まらない信心からね、あれやらこれやらと気を揉ましておりますけれどもね、そしてその反面にそういうそのうどうしてもね、どうにもならない働きとどうにもならないうらがどうじます。これはもうせきをしましてもせきをしましてでも、これが今からなら5年10年経ちます内にね、こういうあのう本当のも形に現れまする問題はいよいよ確実にこのう現れて来る事は、もうどうしょもないんだろうと思うです、どうしても現在こういうそのう、いろいろ問題起きてます間にいよいよかおどうしあります。
一切が神様の愛情である神愛であるち言いますかね、一切大切にすると言う事をですね、いかに私達が真剣に取り組んでいかなきゃならないかね。夕べ決済の委細仕事を頂いております、親先生のお話を聞きながらです、大きな亀にですも綺麗ぇにそのうこう蓋がしてある、そんでこんのほで親先生が、そのうちりりとりでこう御用のあっておると言う訳なんです。もうこりゃ決算でこんな風にいきょるです、川の遠いところはね松でもこりゃまぁ大坪ち大きな坪でございます。
椛目の信心と言う事はち、椛目の信心はどぎゃんにまぁ蓋を閉めてしもうて、さかんにそのう発酵されているんだから、取り合えずそのう桜井先生はあんたはもう椛目に帰って来るとか、私はならこの間でもあんた椛目に帰らんか、うちに帰っておるかち言われたそうです、そん時あんたが助かるためにはあんたがどげんしただよかろうかと言われた時に、桜井先生は私はどうしても2、3日考えさして下さいちゅうて帰ったちゅう訳なんです、それで私が桜井先生をこうおごっとります。
そこに桜井先生が入って来た。なぁしがあんたぁすぐ帰るちゅたじゃやんか私が、もうそんな事とは違うよと私は言うた、椛目に帰ると言う事とかね、私はあなたに帰るというとと違うよと私。勿論その椛目に帰って来る、あるいは信心椛目の信者はやるという事ではないってね。その松がもうどこの松が立派な方だ、その中に私達の場合は、もうそういう椛目で素晴らしい一つの働きが始まっておる時にですね。何かそれを邪魔する様な事があったら大変だから。
私しゃ今日の事でも邪魔じゃない事かもそりゃ分かりませんち、ところがとりあえず私一人でいろいろ問題起きない様に、出来るだけ早く椛目がスムースに太る様に、うまく発酵できるようにです、お互いに一つその当りに協力していこうじゃないかと、協力じゃないそれが本当だから、そこに一つなんとかこれをいうなら、この話合いをまぁ夕べさせて頂いた訳でございますけれども、先生の例えば信心に辛い思いをさせる、こう言う事は一つ充分慎みますと。
お互いにそう言う様な大事な人として、神様から選ばれておる自覚を私しゃ実験させよう、まぁ仰ったんですけども充分ひとつ自覚をもってね、われこそはその一員にあってね、例えばその私達の場合は何処までも、もう私は昨日思うたんでこの間こおように申しました。むつやさんとこで清水さんとそれから清水さんはおられませんから、あのうさらに日奈久の先生の坊ちゃんの茂さんと、光昭さんと3人話をした訳です。大変おかげを頂いたちゅうてからここにお礼言いに見えました。
ところがそのう先生が仰るのに、もうあんたの話は詰まらぁん話を聞いたからね、有り難か有り難か言うちからね、ここじゃだぁまぁだよか話しょるとにですね、それと言う様にそのはなしを皆んなでするはずです、して私が話にしょりますばってんね、だかこの話を知っとくとですね、椛目にいってよるとが話が聞きよかですたいね、その私達はどこまでもそのう縁の下の力持ちでいいじゃないかと私が申しますね、下働きでいいじゃないか折角こうして共励をするということはです。
今日は13日は13日集まっていよいよ共励するという事によって、日頃か椛目のじんやとかありまする信心をね、そのうなんちゅうか察知するといいますか、つかめるち言いますか、どこに私達は焦点を求めてお話を聞くと言う、そのう事を共励しあういいますか、そういう私は一つのこのう13日会であっても間違いないと思うんです。どこまでも毎日出合いまするあの素晴らしい御理解をね。いかにそのう自分流儀で頂かずにですね、私と言うものがあり自分の欲望があり。」
どこまでも私流に頂くところに中々おかげが頂けない原因があってですね、私は本当に無心坦懐あって自分をなくして、もしあの御理解聞けるようにな時にこそ私は、素晴らしい事が起きゃせんじゃろうか、昨日のありゃ上を押します時に電気が消えております、私の方のお神様の御神灯が消えおります。私は知らずに頭を上げてひょっと見上げたところが、御神灯が片一方消えております。それからお願いしてから私後ろを向いてから弟にですね、ちょっと御神灯つけかっちいうと。
片一方はこう点いとります。ついたぁ私が見た途端私が後ろを向いた途端に点いたごたる風にして、先生点きましたよっちゅう訳です、で私はその事をお祭をならしたとでございますけれどもね、自分心の中の灯が点るやら点かにゃ分からんあるにですね、このにんから私は見えんに等しい。いつもそのう御神灯は消えとるか消えとらんか、自分で意識しとくとですね今日だけは消えとるぞ、と言う時はもう点いとるよと私は、自分の心が暗くなりますとね、そのう人の大事な神様の働きすら見えなくなるんです。
いちばん沢山御理解を聴いて自分の心が生き生きしとります時にゃね、どんな問題を見ましてもそれが生き生きと見えるんでございます。自分の心が暗くなっとおります時にゃね、その有り難い事すら有り難く見えないんです。なしてかその見る目を持たないんです。私は心眼を開くと言うのはそう言う事じゃなかろうかと。なんかこりゃ心眼と言うたらまだずっと勿論広うございますけども、間違っとる事すら気が付かない私達でございます。そう言う私が御理解を聴きましてです、なんで本当の事が分かりましょうか。
どこまでも私と言う我情我欲ちいいますか、自分の欲を捨てて神様の教えを徹してみる、こりゃ高橋さんのお母さんが頂かれました様にですね、親先生のお話を聞くということは大坪おくみであると、それを守る事が天地の親神様の喜びっち、私の話を聞いているだけでも、このくらいのおかげを頂いているじゃないかと、もしもあの御理解をね、守ると言う事は天地の親神様がお喜びになるから、これがどんなにも素晴らしい事に成って来るやら分らんと、言う様な御理解を頂いておられます。
私達はおかげで先生の御理解は聞く事は取り越して参りました。もちろん私たち銘々がです、俺は教えを守っとるとうぬぼれとるか分りません。そこ本当にそのうぬぼれであってです本当に守ってない証拠に、実際頂いておりますそのおかげと言うものがねぇ、そもそれほどまでに発展しないんです。もちろんよく見ますとですね今日申しますです、田中さんの話じゃございませんけれども、もう皆んながそういうおかげは頂いとるんでございますけれども。
どうしてもここにねぇこの親先生の教えをですねぇ徹底的に守らして頂いて、もうどうにもならないもうどうこうしようもない様な、私は働きを全部私は頂いた時こそですね、本当に神様の悲願達成にです、少しでも添わして頂くいう、椛目の信者を見れもうもう名実ともにおかげを頂いとるじゃないかと、言う様なものがどうぞひとつ頂きません事にゃね、どうしてもあれやらこれやらを迷わせるんです。そういう一つの責任が私は13日会の皆さんの中にはね。
一人一人の上に掛かって来る事をひとつ明示しまして、一日も早く一つそのう親先生から頂きまするあのう御理解をね、一つ一つ私のものにする稽古をそこに焦点を絞っておかげを頂いて行かれましたならば、もうそくに変わった様な例えば先生今日その悩ませるような問題がね段々少なくなるだろうと。ただ表面的には私ちょっと分りません、相変わらず例えばとよずさんの場合なんかも、ご主人は東京におられる。なんか苦労しておりますって、その方が外面的にはそのうひとっつも分かりません。
その耳ずを疑わなかっても、それをそのう本当に耳がなかったらですね、なんとこう皮むいてほうしをすると思うところである。そこに神様を軽う見たりね神の信心を疎かにしたり。そういう意味で一つ私達の信心の在り方はね、先日から盛んに親先生を通して、神様の御理解ば頂いておりますけれども。まぁこう言うところに一つお互いの焦点を絞って、信心の稽古をされましたならば、私はもっとそういう清新な苦労を苦労せんでも済む様な、事が起きて来ないじゃなかろうかと。
こりゃは少し見当違いな話を下かもわかりませんけれども、ならその中にこの様に思わせて頂きます。一言御挨拶代わりに致します。
涙出してからもう今日は私が実際行かれんから、もう親先生にひとつそんな風で本当によくお礼申して頂くのに、まぁあれ和則があぁ言う風に、もうおかげ頂いてから、夢でもあのうあぁ福岡に行くちゃ、お母さん僕が自動車あのう会社んとを借ってきて送ろうかっち、言いますのでもうその、叔父さんにですねその事聞きました。僕はこげな風椛目の親先生の、このうありゃどげな風がと伺ったところが、その方はねぇよほど苦労された方と思うっちね。
おじさんが全然そのうもう自分がそうこうち簡単にはそりゃねお前に説明できんばってんね。おまえからそういう何と仰らんもんだから、尊敬する人もどれだけかいわせを電話したちゅてですね、とっても喜んで涙ボロボロ出してね喜んでお届けしよりました。
親先生
私の一念に触れてね、だからこりゃなら椛目ではなら私の全部を知らなきゃいけないと思うんですよね。なら私の全部をまた知らせるためにいろんな働きがある訳なんです。その中にですお互いがそのう合点の出来ないものがある訳なんですよね。その様なところにほで触れて来る時に、だからならそのう一成さんなんかでも今日もですもんね、あのう何時もあのう宇美から参って来る前田さん達夫婦が、今日ちょっと用があるからっちから午前中参って見えたんです。
参って見えてから来てとにかくもお詣りゃされんとですもんね。とにかくもうここで先生の顔をみりゃもう帰ったちゃ良かっちゅうごたる風な、わざわざ宇美からお詣りしてこられたのですからねぇ。それかちゅて勿体島の笹崎のそのう里ももう言われん、もうつうっと帰られるんです。で今日はもう原さん方に赤ちゃんが出来とると言う事を母が言いよったから、ならそれへ寄ろうかちゅうてねぇ嫁さんそげな事でしたけども。
もうとにかく拝む事ならもう先生の顔さえ見ればもうそれで乗せて帰った当りが、まぁたまぁひとつぎすると椛目に行きゃる椛目に行きょると言う事を、親先生に言うた事を旦那さんは思いましたがですね。そう言う様なものがですたいね、そのう純真に私のどこ見た時でもそう言う様なものになったとが、ほんなもんじゃないだろうかと思うてまぁ実際は。ところがそのうこうやってねお互いそのう信心の稽古さしてもらい、私が皆さんの前にならかよこ台の上に。
私のとこから行為したならんような形の上のおかげが生まれておるかと言う事を解剖する時に、様々な人間大坪の人のやまえも出て来る訳でしょうもんね。そういうところに触れたそういうものをひっくるめて、あばたもえくぼに見える人、親先生にはこんなものがあると言うて、抵抗を感じたり反感を感じたりするのではなかろうかと、だから例えばならそれをいわゆる宇美のその前田さんとか、なかのそのさん達よりもだからだから私をよりよくまだ知った人であると言う事は分る。
よしとか良し悪しにつけてですたいね。この皆さんの場合でもやっぱそう言う事が言えると思うんですよね。それでも大体において椛目の人達はですたいね、あのそのうあばたもえくぼに見えておると言う感じが致しますですね。例えばどう言うか私の去年の中に出てもですね。あすこの先生にゃただにゃでけんというた風なですね見方、もうそれでもんならそのうなら古賀先生あたりのタイプの人達ちゃ、そのう実を言うたらそれが私にとってはそれは素晴らしいのだけれども。
それを素晴らしく見切らないんですねぇ。何時もそのうこう何て言うかそのう、毎朝晩大坪の御理解を聞きよる大坪の御理解を聴くだけでも、大坪が喜ぶと言われるけれども、そのう大坪の御理解すらをほんとう頂きょらんということですよね。結局いわゆる私久保山先生が来たかのように、久保山先生なら御理解の中に言う様にある、過去の自分の信心のしかたぁもなか信心と言う様な言葉で表現したけどたいね、なんのしかやもなかやろかいね今迄着けてきたのじゃけ何十年。
それが勿論基礎になっておかげ頂かんならんけれども、それそういう信心は一見例えばなら親先生ていうなら、椛目に来たが最後ですなら高橋正雄先生が高橋正雄先生がどんな偉くても尊敬しておってもです、その信心はやっぱ必ずして来なければ、椛目の信心は分らんと私が言う訳なんですよね。それとごっちゃにするところに私は今日はそうでもなかったんですよ。今日御理解頂い終わってから、お届けにこないだも何か遅れてこなかったとこう思ったんです私は実際は。
ところがそのうここへよう席を蹴って立ったと言う様な事、後から聞いてですたいねもう気性がもやもやしたけんで、いやもうここに出て来なかった。それを聴いたら私始めで、そげなはずじゃなかったばい今日のばぁもう本当に、もう何ちゅかもう可愛ゆうして可愛ゆうして堪えんんけんでの、御理解じゃったとしか思ってとかじゃったつに、却って相手にゃ反感になってられ、しかもその事で夕べ一睡もせんなり、考え続けてやったと言うのがある訳なんですね。
そこにいわゆるがんがある訳です、ですからこげな事ではと言う事で、まぁだからなりかず誰がお参りして見えられても、それん人達が見えても秋永先生機嫌が悪くなっていてもお参りになったと思うんですよ、感情な方だろうと思うですよ。それでないごたぁるです実際はね。ところがほんならここへ降りて来てから、ご飯頂いてもなぁないんです。なら今迄こげんして午前中あれもしてくれここれもしてくれと今でも言よるですから。何でもないようである。
けれどもなら実際自分のギリギリの自分の苦しい事ですよ。苦しい事と言うか眠たい事ですね。それをなら普通ならおこたあげんあんなさる筈はないですもんね。ちょいと見るとほうだいずでこう急いでしょうとうに、わがすを取ってから自分はこんぐらいのこと裁きゃよかとこに、さっち私は親先生がもう寝ちゃるとこへいえへえとこにち、思う事こう先生に八つ当たりしょごたぁ腹の立つ訳です。そしてもういもうと時間になったち起こされたらもう今度はそれが無性に腹が立つんです。
だからその腹の立つと言うその元をですね、すると朝からのずぅっと夕べからのそれがこえんなっとてるんだなぁっと言う事です。そしてこれがもし勝彦の事で一睡も寝らなかったんだったら、恐らくいや腹は立つめ、久保山先生の事じゃけんでこげん腹の立つとじゃろうと言う事に成ってきた訳です。して見ると私は本当ここでがですね、もう子供たちの事なんかはもう本当、まぁ祈るなちゃなかです私の母は実際は。けれどもほんならやっぱり厳密にいうと、なら私しゃあんたの子供んごと思うとるよという。
その古賀先生がっさい、やっぱどこにか他人他人としたものがあるのじゃないかと、これではやっぱり私が古賀先生に詫びなきゃならんなと言うなものを感ずる訳です。だからもう本当に信心ちゃもう限りがない、あんただん今日の様なところを自分は通らして頂いて初めて、なるほど愛の中にも大愛という愛があると言う事ですたいね。もう本当にあのう元気な心での愛と言うものが持ち合わせとかなければ、こんな時にほんな事になって来ないなと言うな事を私感じたんですけどぇ。
そりゃ確かにもう本当にそりゃあのうおかしいですけれども、もう本当に二人三人じゃありますまい。椛目ではもう私と言う人間が居るけん言えん時にゃです、今日もあのう石井さんの石井清さんのおばさんに当たられる方なんですもんね。それがちょっとご無礼してからもうだいぶんあのう石井しまおばさんくさ、なら今日はお詫びて見えたんじゃん。ほんでもうここに見えてから頭がそのう、ごっつきあえてから頭が上がらんとですたい。心の中にゃこう思いながら心と反対になっとって。
そしてギリギリ今そのう田主丸の教会に参りょんさるね。所が田主丸の教会でもどうにも出来ん、どこの医者でもどうにも出来んと言う事に成った時に、色々明けても暮れても思う事は、ほんに椛目にこのあのまま縁を頂いとったなら、あのまま縁を頂いとったならと言う事ばっかりなんです。今日はもう敷居が高うしてどんこん出来なかったけれども、もう助けてもらわにゃおられんと言うて椛目に来たと言う訳なんですよ。
でだからそのそれに乗っ取ったちゃ、そういう椛目に対するものを持っておられるからきしゅんあるだろうと思うですたいね。だから今度結局私もそのうまぁ前進に前進を続けておると言うか、改まりに改まりを続けておる私のですから、そのう言うならばその改まりに改まりを続けておるそのう新な更の所ですね、昨日のあるがんに書いてあったが、信心とは心進しんじん心進と言うところは信心とは心が進むと言う事だと言う事なんですね。信心とは日に日に心が新しくなると言う事だと言う事です。
だから私の信心のもう素晴らしさがあるならね、そこんとこだけになると皆んながですたいね、あのうどげんつまらんでやですたいね、そこんところに曳かれて椛目に参って来るのであり、そこんところに曳かれて椛目に修行に来るのであるというなからにゃいけないと思うのですよ。私は完璧だと言う事じゃないのだから、けれども私の場合もう日に日に矢張り信心だと言う事です。進んでいきよると言う事、日に日に新らのものがある証拠に、朝に夕にあの御理解を頂いただけで新のものがある事が分かるじゃないかと。
だから信心とはそんなもんです。信心とは心が進ということ。信心とは心が新しゅうなると言う事。そういう面でなら私は椛目はおかげを頂いておるとこう思うんですよね。ところがそれにですね、そのう新しくそうして進んで行かんと、自分の今日のなんかなら朝の御理解じゃないけれども、そのう自分の城の中に閉じこもっておるとですたい、そういうそん言わば日に日に新に進んでいきょるその信心にすら、触れることが出来ん。自分の殻にちゃんと閉じこもっとる。
だから御教え一つの場合なんかその城の中からでん如何にして誘い出するかと、こうしておるところですね。あのうコノシロと言う魚の御理解だったんです。コノシロの中に入ってそしてコハダにせにゃならん。あのうコノシロとコハダは同んなじなんです。だからそのうコハダの言わばねぇあれは江戸前の小粋な、いわばあのう江戸前の寿司と言う事だそうですね。だから例えばなら孫なら孫と言うのは生々しいものは無くてもです、あのうコハダというたぁもう何日でも酢の中に漬けといてからね。
それをあのうやはり生のいわゆるそのう、にぎりやでこりゃもうコハダにぎってる様にですね、古賀先生たちの場合なんかは、だからそういう感じでおかげ頂けれる人だと、今日は私はその発見をして、もう今日は古賀先生に対してから、はぁこの人はもうおかげ頂かれんと思よったばってん、コハダにしてにぎりれる人だなぁと思ったら、私は今日もう喜び一杯で今朝の御理解を説いたんですよ実を言うたら。ところがそりゃ古賀先生にゃかえって跳ね返って、とにかく御結界に出て来るごと無かった。
ほれでもうつうっとえほんいとったものですから、お母さんがなんちゅ事かって今呼びに見えてる。てここで一緒にお届けしようと言われるけれども、こげな風ですけん私しゃそっかだから夢にも思わなかったとです。あぁそげな風に言っちゃったと言うてから、そげん話すほどのことじゃなかった。まぁちょいと古賀先生きて御覧って言うてから、ようやく来てはなしを聞いてみると成程、今朝の御理解に大変抵抗を感じてあったと言う事なんです。だからそう言う事によってこう引き出そうとするかね。
城の中にあるものをどうかして引き出そうと、引き出さなければ言わばいわば、そのうコノシロじゃないけれどですたいね。ここにコハダにする時にですたいねいわゆる酢に漬けたりお塩掛けたりと、そして言わばあのうそうしたコハダの寿司と言う様な事でですたいね、ままになる。そう言う様な事が古賀先生なら古賀先生の、本当にまぁいわばこうげきな先生だという意味合いの置いて、皆んなからそんきを置いていかれれるおかげを受けられるならと言う事だったんです。
ならお互いでもそうだとやっぱりそのう自分の城の中に閉じこもったんじゃ、今日日にもしようがないって。そこでもうしよんなかで引き出そうとするあの手この手が、家内では銘々使われる。例えばほなら一番良い例が清さんなどがそうですね。もう私がほかで何時も思いもするけども、この人は椛目の中でなきゃ育てはきっとらんと私は思うんです。いわゆる私が良い様にそのこの人中に閉じこもっとるとを、私のよはへこう引き出し引き出したとこだけは信心、私げになっていきょると言うな感じがするでしょうが。
だからあのうお互いがですね結局この城のに閉じこもる。今日にもぜいのしが帰ってから言うのに話す事ですたいね。本当にこういうおかげを頂いておると言う、私が頂いておると言う事、私の心の状態とかおかげを受けておる事実をですね、何とかはぁ本当に宣伝してされてから皆んながそのう、宣伝に乗って来て下さるならもうどげな事がして、して宣伝してでもこの事を分かってくれと私が言う訳。こりゃ私実感なんです。けれどもさぁそうして分らせよると言う様なものでわないと言う事ですね。
でどうもそのう私の場合はですたい、ほんならそのうここのご支援を頂いて、またはここで修行さして頂いておるなら古賀先生たちの場合でも、そこんところのまぁ分からん所を、こしたんとそのう分からせようとするですね、それがあまり強過ぎるところにこうなんちゅうですかね、きってあたらないものがあるですね、私の何時も何と言うですか、思いが過ぎるところが時々出て来る。であいきこういうこっちゃいかんともうとにかく求めて来たなら与えよう。
もっと持って来たならもう少し沢山与えようと言う位な気持ちなりゃいいのです。そうなろうと思ってるんです。ところがですねもうここん中にたぎっとるものがあるもんだから、これを早う分らしたいというものがですね。いつもそのう相手に暗い思いをさせたり傷着けたり、または抵抗させたりしておる様な事じゃないだろうかと、してみるとこりゃ最後にいろいろある、子には詫びという気持ちにこちらがなって、もう一辺やり直さなきゃいけんなんてな気がするんですね。
どうもおかげをお頂きました。いやぁあのう昨日ですなぁあのう、ちょっとお聞きしたんですけれども、福岡のお祭ですがあのうやはり私が誘った様な事ですよ、誘ったやらじゃ確かに私としてはその誘った積りでですな、申し上げるた時に親先生がそのう、遂行座を讃えずとかですな、話を反らされる事があるんです。その時にですな何かがっかりするものがあるんです。であのう私達はですな迂闊に自分か誘ったと言う、有頂天になられるなぁと思うんです。
それでもう私有り難いものを沢山まぁ頂いて、そのういろいろそのう喋りしたくなるんですけれども、そのういつどこでですな神様からお指図になるか、もうそういうですなそのう怖い怖いでしとったらいけないんですけれども、私あのうおかげは和賀心にありって言う言葉ですなぁ。おかげは和賀心にありて結局これに、そのう親先生は今日仰った事がそのう通ずるような気がするんです。そのう愛は泰然、私もう最近ですなそのう誰からなしにそのう、いつもそのうお話したいんです。
もうせきしょ充満したうちのふたんにばお話したい、従業員にするともうとにかく何人でも、そのう喋っておりたいんです。ところが昨日あのう福岡のお祭ではそのう、黙ぁってそのうお聞きするばっかり、そしてそのうとってもいいお話に聞けるんです。例えば麻生さん東さん、そしてそのう桜井先生も確かにいろいろ、お話が非常にスムースに出て行くんです、私は黙っときさえすれば、そのうスムースに素晴らしいお話が、そのう聞けていくんです。
今までは私がもういい気になってそのうお喋り続けさして頂いて、終わらして頂くそのまぁ極端に言えばそんな風な気がしたんですけども。もう黙っておりさえすればもう素晴らしいお話が、ずんずんこう出ていく。もう本当の私以前はそのう、世間話とかいろいろ雑談とか言いますと、もうすぐ席を立って行ったり、もう眠くなったりくたびれたりするんですけれども、昨日でも何時の間にか12時になっとったとちゅなふうで、そのうこう聞きやすくなったんです。
そしてもう早いと思うんです。それからあのう青年会の8日ですあれからそのう、今日で5日目で今日がまぁ仕上げみたいなんですけれども、青年会は家に帰らせて休ませて頂くとは2時頃になりましてから、その次があのう伊万里の方にたいがいさせようと思ってそのう集金に行かして貰うんです、伊万里と言えばあのう竹内先生のもうおられまんですけども、あすこがもう感心にそのう毎日そのう9時頃から、9時ちょっと前から信者さんがぞろぞろこう集まって来られて。
そしてあのう親先生をテープを聞かして頂き、竹内先生が居られる時にゃ竹内先生からその又いろいろそのうお話を伺いする。そういうそれがもう毎日続いとる証拠に私がそのう、9日に行きましたのが4辺目ですけども、そのういつ行ってもそんな風で10人ぐらいこうずらぁっとこうお出でになるんです。で私もうこっちからそのう出ていくと言う事は、もうどうしても出来なかったんですけれども、ちょっとした切っ掛けでそのうあすこにお婆ちゃんを送って行く様な事があって。
それからもうついついそのうあすこに行ったら、そのもう仕様なしに寄らなければいけない様になってしもうて、ある時ではそのう先ほどおしっこしたいと思いまして、車を止めて降りたらそのう池田さんともう一人の方、がちょうどあのバスの乗り換えで乗られようとするとこに、その石井さんあぁ自分びっくりしてですなぁ、それから今日はいまよりかもうしょうましすうの、母から伊万里の方に行くのをもう楽しみにしておりますから、と言うていわれる。
で行かんはずに行かん訳じゃない、もう有り難いです合わして行きゃ、行きましてですね私はだいたい伊万里の行きたいと言う事は前から思って居ったんです。そうどうしてかと言うとそのう伊万里という遠方なところから、そのうここまでお参りされてるにゃ相当熱意がいる、そりゃにゃ本当の真剣なそのう内容のものがあるじゃなぁと思いまして、それを頂きたいとばっかり思うておりましたんです。で竹内先生もとてもこう東大出て出であるし、そのう教団でもそのうとてもこう役立っておられる方ですから。
であすこでもいろいろお聞きしようと思うんですけれども、あすこにいきましたらそのうしゃっちそのう座布団の大きいのをこう出されてから、そして机がこう出されてして皆んなこうそれをこう取り囲む様な格好で、さっちそこへ坐れっち、ちょうど始め咄家みたいなんです。そしてこうぐらぐらし始めるて何時の間にか、最近おかげを頂いとりまして話好きになっとりますから、3時間4時間も何時の間にか経ってしもうてから、そして後でそのう竹内先生がまぁ締め括りされると。
神様のお社からかちっと音が頂いて、そしてから有り難いなぁて思ようりましたら、そのう竹内先生がどうぞ御祈念して下さいと、私に言わっしゃる訳ですな。私一人でご祈念して帰るもんと思いまして、私はぁ後ろでこう合わしてしょるなるとに、わぁこりゃ親先生でもちゃこう(笑い声で聞き取れない)何べんでも行かれんなぁと思いましたですよ。それからあのうこの前はじゅんかいにゃもうだいぶんそのう聞く、聞き上手になりなったせいか知らんですけれども。そのういろんなお話を一回して頂くんです。
その中でそのうお婆ちゃんが、そのうだいぶん以前はそのうおかげ頂かれたお話をされるんです。でですけれどもだいたいまぁ誰でも、伊万里の信者さん達もやはりそのう悩みがあると言うのは、そのう椛目にお引き寄せ頂いとる時には、非常にその元気づいてもう有り難いいっぱいでもう元気づいて帰るんです。ところがしばぁらく遠ざかっておると何かこうへこたれたような感じになるから、それじゃいけないと言う様にその共励も2、3日前もあった。
であんた来て頂いてそしてそれがもう一日二日するとまた、くづれてこう結局顔見たらそのうあんた来てくださると言う事は、結局椛目とこう続いとるんですから、そのう親先生の勢いがそのうこう伝えられくるかもうとにかく、おいでて下さいと仰るんですけれども、そのう竹内先生がそのせきにやら私に期待して下さる訳です。それがそのう私は対応に弱いと仰るんです。どう言う意味ですかと申し上げたところがそのう、晩あの人はそのう静かぁにしといて神様の前にそのう額ずいてまぁ坐ってからそのう。
神様とお話と言う風に行きませんですけど、そういう気持ちでそのう相対されておる、と自分の信心に親先生のそのう求めてある、御利益信心ではなくて本当の信心。そういうものにならして頂くのがもう楽しみなんです。がなんだそうです。ところが翌日まぁ夜が明けましてからそのう太陽が出て来る、すと自分はお勤めに行って、そしてそのう世間のいろいろの雑多なそのうまぁ紛争事とかですなぁ、それからまぁ利害関係とかそういうことで、まぁ人と話する時ついついそのう巻き込まれる訳人の紛争ととか。
そしてあぁそりゃそうやなぁとついこううなずいて行く訳です。で後で考えさして却ってそのう冷静に考えさして頂くと、あそこは信心ではあぁ受けるべきじゃなかった、あぁいうところに人情使ってはならない。そしてまぁそういうそのう自分がそのう信心に無い頃なった事を、そのうくじられる訳ですで、すからそのう対応に弱いと言う意味に、そんな仰ったんですけどもそりゃ確かに私たちでも沢山あるんです。そりゃもう夜が明けてからそのう仕事まぁ精出していくと。
もう汚い心を起こしてはならんと思いながら、そのう得意さんと相対すとすぐそのうどうしてよけい儲けてやろうか、まぁもうそこまではいいんですけど汚い考え方がそこに来る訳です。してお得意さんと和らぎ合う本当に親密に和らぎ合いで、そのう商売させて頂くんじゃなくて、なにかそのう汚なぁいそのう感情ばっかり、先ずそのうお得意さんと和らぎ将来の情報発展よりか、現在今少しでもそのう汚く儲けようそういう心が出て来る、そういうそのうもんじゃなかろうかと思わして頂くんです。
そして今日ここにそのう来らして頂いてからそのう、まぁ来らして頂く途中も非常にこう春みたいにお天気の今いいんですけども、ここで頂きます事があのう洗濯を干してあるんです。太陽のまぁ出て暖かいしもう洗濯物が干してあるんです。そしてもうい一つは対岸のしんを頂くんです。であのう洗濯物これはあのう太陽に干さして頂く、結局まぁ私達はもう太陽が出て来てこう信心、神様から離れて社会の事に成るとついそのう信心が薄くなる、ところがそう言う時にそのう人情のなんだを。
結局あのう太陽に干し上げられていくですねあのう、着物布団とかそういうものは一応濡らしてから湿したものを干し上げられて、その湿したものはそのう我々の欲望とか人情じゃなかろうかと思うんです。それをそのう昼間こそ太陽が出て社会のその荒波の中に、世間だったらそのう人情とか煩悩の欲のある中におる時こそ、自分のそのう汚いそのう人情そういうものを洗い落して、そのう干し上げ太陽で干し上げらせて頂くべきじゃなかろうかと、まぁそう言う風に頂いたんです。
それからそのうせんですけども、さいだのせんこれはあのう、この頃夢を見させて頂いたんです。それが非常に私し後になって、これはぁ本当に私の今後の芯とする様な事じゃなかろうかと、思うたことがあるんです。それはあのう大きな広ぅい海なんです。それを私はこっちの高いとこから見とりますんです。そしたら一台飛行機が、こう降りて来とる訳です海岸端に。
それをけん見物みたいな恰好で、そのう沢山人がこう寄って来とる訳です。で私の息子もどっかに遊びに行っとるなら呼んで来て、そのうあそこに行かせにゃいかんがと思いよりました、でそんながそのう海水浴しちょるような格好で水ん中に浸って。そしたらそのう海岸端と言うとそのう非常に浅いんですけど、それがなんか深ぁいく見えるんですこっちから、そしてそれを透き通してそのう大きな回転のものがそのう向こうから来る訳です。蓋なんですそれが。そしてそのう海水浴しとった人をそのう食べる訳です。
そしてまた暫くしょうると又大きいのが出て来てから。そのう慌てふためくそのう婦人方逃げるとを追いかけてこう銜える訳です。もうその時の悲壮な感じはもう本当の現実の様にあるんです。そして食べて食べられていく状態が段々食べられて腕が段々短くなって、そのう手が手だけがこう見えていくんです。口の中もう悲嘆です。あの伊万里からそのう伊万里に行かして頂く時にその途中二回その交通事故におうたんですけど。
それが一家団欒というまぁ幸福な家庭の、本当に大概産みの恵みの中にそのう極楽に生かされておるというな家族ぐらいが、そのう途中にどぶの中に事故を起こして引っくり返って大けがするとか、一辺に悲惨な目に合う。ですからあのう親先生は前ぇから仰るそのう地獄の底の、地獄の釡の底を割ってその下に幸せがあるとか仰ってあったですけれども、私はそのう本当の幸せは極楽にあるとは限らんと思うんんです。
却って地獄の方に例えばそのう、苦しい思いをかのうそのう人の人情とか、少しのまぁ金とかそういう恵みは、ようするに身に染みて有り難いように、その地獄の中に仏があると言う事を、この頃はもうしみじみ思わして頂くんですけど、そしてこれは私がまぁはっきりさせて頂いたんですけれども、そのう極楽の中にフカに食われるような事がある。それは飛行機で分かると思うんです。飛行機はその高いとこ飛ぶ、でこりゃ傲慢な心なんですけれども。
大海の恵みの中に生かしておらして頂くと、ついそのう傲慢な心がそのう持ちあがって来る、そうするとそのうフカからそのう喰われる様な、結局折角一家団欒で日曜日にゴルフに行きよったものが、一辺にそのう不幸のどん底に交通事故であると、これは世の中に沢山あると思うです。おかげの地である、また一家後でもその好機に皆んな金にならんでも、喜びで一杯だったのが、急になにかそのう引っ掛かるとか、病気になるとかいろんな事故のために、そのう暗ぁい不快になるような事になると。
そう言う事をまぁおかげ頂いたんですが、私は今日は堅苦しいとこの済みませんどうも、昨日もうおかげ頂いたのが、あのう桜井先生の事をでしたんですけでも、さっき仰ったあのう大きな坪それを締め括ってある、そしてこんだぁあのうチリ取りです、その次があのう秋永先生が残して居って下さったですけれども、あのう桜の木なんですけれども、あのう桜井先生があのうお見えになったとが、ちょうどこの光昭先生の娘さんと結婚式の時なんでしたけれども。
その時からまぁ今まで僅かの月ですけれども、本当の親先生の信心んを頂かれて、とってもそのう神様とのお話するように素晴らしく今成ってあるんです。それからあのうところが最近そのう向こうの荒戸の親教会に帰れと言うなことは、でそのうと言うのがそのういや帰らんもう親先生から離れんって言う様なそのう、桜井先生が本当にもう人の助かるために自分がもうそういう親教会振り切ってでも、本当の道に向かって行くと言う様な事を気持ちになっておられるんですけれども。
その時桜井の役、桜井先生が桜井の役ちゅうことを神様が抱かっしゃったのかも知れんですけれども、その正成(まさしげ)がそのう桜井の役でそのう正行(まさつら)に、おまやぁそのう帰ってからそのうきれって、そのう詩にもあります様にまぁ故郷にはその年老いた親が待っておるんです。年老いた親と言う事はその向こうの、福岡の年取った親先生とも思われるけれども、ですけれども今椛目の方に生きたのではそのう、一緒に親先生と道いんする様な事になる。
今親先生ここの椛目はまだ正式になっていないし、いろいろ思案非難もある、ようやく今発酵そのう大壷の中のそのう、まぁ葡萄酒かなんか知りませんですけれども、せっかく発酵しよりますんですから、今そこいろいろ蓋を開けんとか言う様な事があっては、はいちづのことになるからそのうそこを振り切ってから、そのうまぁ郷に帰らせる、そしていざ将来そのう自分が死んでも後で、この世の中にあちこちにそのうから、そのう本当の椛目の信心がこのぱぁっと湧き上がって、この伝統段に及ぼしてくる。
そのためにここは我慢してからそのう人から非難されながらも、まだやっぱ食われんから帰って来たと言われながらも、本当に辛抱してそのう帰って行かねばならんとこじゃなかろうかと、そしてそのう私思わせて頂くんですけれども、こりゃ神様のもうお気持ちはどうあるか知らんですけれども、親先生が居られる間に決してそのう、このう全教団に椛目の本当の教えが分かられるかどうかは、私は思わして頂くんですけでも、これは神様のもうお気持ちじゃどうあるか知らんですけれども。
親先生が居られる間に決してそのうこの全教団に椛目の本当の教えが分かられるかどうかは、私はw借らないと思うんです。それはちょうど正成が本当の仁義の心を抱いとったにも拘らず。いちずにしてから思いを遂げずに亡くなるんですけれども、そのう結局正行が後を継いでいって、そしてそのう後々にゃそのう、忠信楠公きちと言う様なそのう皆んなからあがめられて、その手本になるようなその世界が来る。
私はそういうその事からそのう素敵な話で、もうあらまし綺麗に詩をこう口ずさみよりましたら、何かこうなんか寂しい思想を思い出すんです。と言うのは昨日の秋永先生が仰ってあったんですけれども。卸し屋さんが来ましてからあんたとこは、今年はなんとか来年はもうおおきゅうなりますとか言わっしゃるけれども、まだ大きくなるんじゃなかろうか、もう一辺もう一辺って段々長くなっておる。
結局親先生の信心は御利益信心じゃなくて、本当のそのう和賀心、信心を頂かせるばっかりでそのうのものであるから、そのために私たち信者そのう犠牲、犠牲と言うことなんですけれども、討ち入りを共にそのうしなければ行けない、結局しようの後にそのう正成と一緒に家来たちがそのう行く様な風に。そう言う様なでもこれが皇帝の為、先はまぁ現存仰ったようにその子供が本当の親の事を先々で思い出して、本当の親先生の信心にあのうなっていかれる。
そういう時代を私はそのう悲壮なこの中に希望さして頂く。不本意に思わせて頂くんですです。もう長くなりましてから私が思うとりましたのとだいぶん違った話したと思います。
話した事は夕べの方がもっと垢ぬけてとりましてから、もう二番煎じでちょっともう大事なヒントは今後つえようるのでございますけど、あのう夕べはなかなか素晴らしいい表現の仕方、今日はちっと頭でひねくり回しとりますから、だいぶそのうピントが狂うて変な話をまぁした訳ですが、例えばあのう先ほどの話でも、みように聞きよりますとややこしゅうございましたから、分り難いと思いますけども、昨日麻生が頂いた事なんか昨日あのう古賀におったり行ったりしとりました。
それで門司でしたか門司に行って、あのう電車に乗ったそうですたい、で15円のところを50円出したとこが25円釣りが出たげな、車掌さん、こんちくしょうもう35円やらんで25円出て来とる、こりゃ間違うとると思うたげなばってん、ここがそのう椛目の神愛会でいかにゃと思うちからですね、こりゃこの10円はどういう意味で間違うたじゃろうかと思うて、こりゃどう言う意味じゃろうかと、ばってそれを有り難う降りたらしいですよね。
今日こんなで東さんならもっと分かりやすう話が出よります。例えばそれでそのうこれはどう言う訳じゃろうかと、これも何かの御都合か神様のなにを分かれと言うこの10円だろうかと思うてから、10円だもんじゃけん麻生さんもまぁ違いはよかったのかも知れん、これが1万円もやったらどうか分らんばってんか、10円だもんじゃけんですね、これで分かれと思うて降りたちゅう訳、所がですねその後が見事じゃったちゅう訳、もう行くとこ行くとこで素晴らしかってちゅ訳です。
それでそのう有り難い有り難いと、もう本当に神愛とはこう言うもんだと思うて帰って来たちゅうわけ。あとは悪かです、でこんだオートバイに乗って事業所まで来たったちゃったという。その前に昭和タクシーが自分が左に寄れば左に寄るげなもん、右に寄りゃ右にも左にも、絶対前に抜かせんごとついちゃる。それでこんそろそろこれも神愛で、自分のそういう根性がなかろうかと思えば先に、こん畜生がもうえらいこと前に出て邪魔したちゅう訳。
ところが今度はどこに行ってもそのう、いきゃ行くとこであるんじゃ、もう行けば3軒いきゃ3軒とも留守ちゅ訳です。それでいきなおかげを頂きましたちゅう訳ですたい。それを新しいものの生き方と言うのはね、一切が神愛ちゅう事はですがね、自分に都合が良かろうが悪かろうがですね、それを有り難く頂くところに、先ほどの前の前半は前講じゃございませんけれども、そのう前編の方はですねもうぴしゃりいっとる、もう行くとこ行くとこに一枚買うて二枚買うてもらう。そのう旨く集金も出来る。
まぁスムーズにいっております、後半はそげな風でいっちょもいいとこらせんでですね、もう次々こうおかげをまぁ早う言うなら落としとる訳です。それによってですねもう自分にゃはっきり、もうこげな思い方はおかげを落とす。こげな思い方はおかげを頂くと言う事をそのう会得したと言う訳です。ところが残念ながら私達の場合は何処までもそげな風に、その事すらです今極端な話すらですね、例えばあのうおかげを頂くいうとが何かこう、儲かるとねかうまく行と言う事がおかげのごつ思うとる私達はまだね。
もう信心を分りさえすりゃ、もうそのう本当の分りゃですね、おかげを頂くとかおかげを頂かんとかと言うとは、問題じゃない私になる稽古をせなんのにですね。どこまでもこうすればおかげを頂く、こうすりゃおかげを頂かんと言う事が、そのう私達現に私だったんだ、私もそうでしょうけれど、皆んながそうなんです。だから親先生がずっとお見えにならんです、おかげを何とか頂かんとかちゅうとは、どっかにぶりやってしまえっちゅう訳です。
我情我欲を捨てて真の道をあげにゃ、歩まにゃ信徒会が生きておると言う事を、悟るとだけがどげなおかげでも頂ける。それを私はこういう事をして、なら先生がなら過去に於いて私達みたいにですたい。こうすりゃおかげ頂くとか、こうすりゃ商売繁盛するちゅう事をやって来たばってん。どうしても是じゃ旨くいかやったと。だからもうそこに神愛でも悟って、自分は無力吾無力なんと言う所を分からしてもろうた。そこからこう言う意味じゃ開けてないから、その開けた道をさらなる説いてらっしゃる訳です。
こういう思いであればおかげになる、こういう思いはおかげにならんち、ちゅけども残念ながらそのう、片一方の方でしっかりそのうおかげ頂くから話切らんもんです。天理教じゃなかばってこりれをしっかり握っとるもんじゃからですね、その我情を握っとるもんじゃから次のおかげを頂き切らんとですよ。でどうでもそのここではもう今もそのこういう思いになればおかげになるというならばです。その思いになる事を教えてある、施設例話になる14損してもですたい。
これはどう言う意味で神様がじんえんさしを通じて、私につくなら言うてあるわけです。どこにこの神愛があるだろうかそうと思う時にそれを、麻生さんじゃなかばってんもう素晴らしい事に成って。そりゃひとつ新しい方のそれを徹底的に分らにゃいかんです。あとからどげんならそげんならされてです、今日はこういう御理解聞いたならばです、その御理解にもう取り組むどころじゃない皆んなが、なら朝参りの方達がその日その日に対して頂いてあるんです。
だからそのう中途半端におかげ頂いて帰った分にゃもう、あんときゃなんじゃったかになもう御理解はちゅうた風、帰って皆んな忘れとるかみに、毎日聞きよるやつを免疫になってから。今日はどげなこっつじゃった、有り難かったばってんもう忘れたちゅういうような感じ。それじゃもう一辺あとから先ほど先生がはしらに、先生の話聞くのに喜びがあるだけで、天地の神様の喜びにゃならんち、だからどうでもこうでも一つそのうもうそのう訳はなかっちゃもんなぁ。
一切が神愛なると言う事じゃけん。それをどうぅもそのお互いがその我情我欲が、ふらふらしてからそのうね、ここにひとつやっぱし信心にやっぱ求めるとじゃなかろうかと。それを一つ一つ失敗してみて失敗せんと分からん。失敗して見てこげなこっちゃいかんち、やっぱまたやり直さにゃいかん。それがそうするうちに段々垢ぬけて来よる事がじゃ、皆さんがもう家庭でそういう意味でおかげを頂いておられる。
したらその本当な垢抜け具合をここから一つ、後で今桜井先生の場合でも、初代のその常にはむこうての話に、こう咬み合わせたから変な風になってから、そしてあぁ言う様に普通のまであげな風じゃったけぇ、今度もこげな風じゃなかろうかちゅうて疑う様に、ひっぷんから話があっち飛びややこしゅうなるとです。そりゃもう全然つまらん別じゃゃもんね。そりゃ親先生は思うんですよ。
そりゃおかげを頂くと言う事は、例えば私がなら言う出したからにでもですたい、問屋さんがなら私達を呼ぶようにです。あんた方もうすぐに一年になったら良うなるち言うが、いっちょん良うならんじゃないかと言う。だがら弟ん事もそがんち、どげんかしたらいや家はまだあのう先生がまたもどらしちゃいかんちゅござるけぇ、まぁだがんがんちゅう具合でこれがまぁだ見ようるですたい。
段々ものう違うですよぼおんものです。で参ってからしますよじゃん。あのうまだ先生がそげん早う儲け出しちゃいかんち言わりょうるけんち、そりゃもう向こうも電話も知っとりますけんですね、そりゃもうしょうありまっせんなそげな風ならちゅうたふうたい。もう問屋さんにでもそんな風に言う、手形払わん条件にもうそのうもう儲けとらんごとがよかとのごたる。でまぁ参ってからとてもも出来ますよげな。
まだ神様がうちの親先生がまだそげん早う儲け出しちゃいかんちゅうござるけんっち。ひとつそげな風な覚悟でいきょるです。そりゃね良かっつじゃありませんでね。そげなこたぁもうじょうにはならん事ですけども、しかしそのそのわん口では言よってもですね、やっぱ心の中では以下にしたなら早くそういうおかげ頂こうかと言う事に対しては、みのきつい訳なんですよ。
ところがそのう努力せんな自分が出来るもんだから、そりゃ少し成れるもんじゃからやっぱりそういう、申し詰まらん言い訳でもせにゃそこにちょっと、自分が納得されんとですたいね。どうしても自分で自分に言い聞かせよる訳じゃろうと思う。そこのねきどうでも私がひとつあのう教えに行かに言って引き揚げっというところがね、もう私しゃ一緒だったらこりゃ別れにゃいかんだろうと思うね。
もうこれをそのうやっぱし気を遣わにゃ気を遣わんで私しゃ私し、嘉朗は嘉朗ち言う様な風にですね。自分勝手に解釈せにゃ。まぁそりゃ良かとこばってんが、自分勝手に解釈してそのう苦労してみて、はぁこりゃ間違うとったばいのとね、おかげを落としてみてこりゃ間違うとったばいのうとか。おかげ頂きゃこういう気持ちならおかげ頂くばいのちゅうことで、段々本当のもんがそのう分かってきょるです。
始めから言うちからですな、あんまりようない色々あるんですけれども、話がもう御利益信心でなくなるまでですな、出来とる、でないとですなちゃんとよかごとあっていい気持ちになってですな、それに向ってもうそんなら遊び行こうかちゅな風にですな、なるですもん。本当にそれつかわし切らん訳です。こう恵みに恵まれた時にですな、果たしてそれでそのう昨日二人ではそのう、金光様の蓋をですな信心の蓋をいつもしよらんとですよ。いかんじゃなかろうかと思うんです。
それからこう伊万里でもあのうお婆ちゃんやらと、前のおかげ話しょんなったからですね私ふと思い付いたんです、そのう例えば私でもそのう兄弟の事でも、ぴしゃりそのうおかげ頂いて信心、そのう成功さして頂いとる訳です。私自身でも今まで過去見ると色々おかげ、頂くちゅう時にですな不思議なおかげ頂いとるんです。ところがそういうのはひとっつもですな、その人の信心の徳の値打ちにゃなってないと思うんです。
ただ過去に於いてはそのう形のおかげ頂いたっちゅうだけでですな、問題自分が現在ですな、はぁほんとどのぐらい有り難いもんになってるか、一切和らいで見るそのうどんな苦しい事でも、難しい事でもそのう和らいだ目で有り難くですな、信心で頂けるように自分に現在なっておるかどうかが問題と思うんです。で過去に自分は頂くと言うこういうおかげ頂いたって、いうてもですなそりゃなぁにもならない気がするんです。
でそれを失うまではやはりそのう悪い事が続いて、そのう続いた方が良いと思うんです。でないとそういう調子でそのう恵みの大海の中に入っても、そのうフカからですな喰われてしまうの事じゃなかろうかと思うんです。それよりかもう地獄の方で仏に合う様な事が良いと思います。
そげな事言うならあんたやわらかに若いですね。
いやぁそこまで言わにゃ私は締めくっくりをにならされとるでしょう。で私しゃだれでん発言からとにというですな、でないにし。もう地獄で仏に合うってあのう小さい頃、学校どんかなんか見ましたですけど、外国に行って外人ばっかりですよ、その中でひょっこっと日本人に合うとですな、もう地獄で仏に合うたような気持ちにです。私達はいっつも日本人に合うとるから仏に合うとるはずだけれどもですな、そういう実感はしないんです。ですから地獄と思うがですな、かえって仏の感じがあるんです。
本当のそのう食物の味はです美味しさわそのう、本当に腹が減った時しか分らんし、按摩の有り難さは疲れた本当に疲れた時しか分からんです。ですから地獄での中でこそ本当のですな幸福の味わいは分るです。そんな風にそう言う時私素晴らしいと相手にとって、そういうぐあいで、でこう楽な事が起こって来ると、はぁ自分なこりゃ徳のおかげじゃと言う事に成ると思うてからに。
今日はちいっとちごうて来とるですもんね、もう今日はそのう甘いげんこつでやっぱ言われるぐらいそつです。やっぱその日のお昼はすわりゃせんじゃん。こわくて鬼が来こうこうするともうにやっと笑うてからもう、自分だけ笑ってですね、がたがた言うたふうでですね、もうほんに改めてあのうぐらぐらするばってんしよんなかでしょうが。でうちの方はちっときあいはするそこんねきはね。
あのう11時の久留米の記念祭でですな、鞄ををですな、あたし何時もは車にいさむけにもって帰ってですな、それで翌日また持って来る様な事をおかげ頂いたんです、その時こここにテープで、あのう二人きりで合ったですからですな、すぐ私忙しかったですけどもう5分10分はかからず、坐らして聞かして頂いたところがですな、そのうなんかここに掛け軸かなんかにそのう、もう欲しいものもなくて、雨だれの音を聞くとなることになるんですよ。
あれは内容は明かせば種を明かせばですよ、も結局もう食べるもの食べてですな、もうちょうど飽和状態ですか、欲しいも無く無くない状態ですからな、そういう思いになるのは当たり前ちゅうなことを仰ったですけれども、問題はその恵みを頂いて、あぁお互いすきっとしていい気持ちにまっとるきに、そのうさぁ今から遊びでも行こうかとかですな。まぁ映画でも行こうかちゅうてですな、そう言う気持ちがおかげを落とす様な事を、御理解頂いていました。
そしてはぁここうやなぁと思いまして、そういう時にやはりそのうその先を最短せんですな、もう普通のちのせんとかゴムの栓じゃいかんしですな、本当に金光様の栓をピシャとして信心で、そのう御利益を目当てにしない様にですな、しなければまた深ぁくわれる様な事にするんじゃろうかと思うて。あすこへ一っ番いいのはですな私にとってですな、そのだいんごとあるんです。
そこさえ卒業すればですなもうする事なす事ですよ、つうてきな来ないと思うんです。でいまぁおかげでですなそう言う狂うてきしながらも、地獄で仏のような味わいをですなさして頂き、本当に心情に見詰めさせて頂く稽古、ちせ対応に悪くない様な風にですな、しよるんですけどなかなかですな、そりゃ一部なかなか思う様には。
それは一部でもなかなか良い事は思えんようにね、なにか古賀先生らしいもんね。なにか太陽にに弱いんよね。
いわゆる太陽が上がらんならよかつに、それが
いやぁ朝の御祈念に参って来るまではっさい、確っかに皆んなが有り難いものは、おかげ頂いたぁじゃんな、太陽が出るに従ってからな、異様な雰囲気がしてからほんと。本当に太陽が出て来るに従ってっさい、その思いが深刻になりまた切実になり、有り難うなって行くというもんになって来なければねやはり。じゃ私共の場合なんの太陽の出るに従って段々だんだん腹の立って来るぞと。
あのうなんなん時にですね、久留米のちょうど記念11の日にあのう先生から、あのう御理解がひどかったけれども、せいざんの有り難うその時は有り難かったです。そしてから昨日からまた思わせてい頂きよったら、本当に神様も少しこりゃ軽う見とったなぁちゅ感じがして、今日はもう本当にもう神様にすみませぇんちゅう感じが、今日起こらせて頂いてほんに親先生お御苦労かけた事が、あん時ゃ有り難かったけん親先生のあんな痛い思いをさせた事が、そうあんまり感じじゃったですけど。
今日は本当にもう相済まんと思わせて頂きまして。こりゃ有り難ぁい事よりか相済まん方が後から、こう起こって来るしたなかろうかっち思わせて頂きましたら。ほんに今日はもう本当にもう神様相済みませんもうそん時。
あすこのねきですたいねぇあのう怒られて有り難いいうね、あんたがおる間にどもあれが怒られてから有り難涙を流しょるんでしょうが、けれどもそこんところがねぇやはり、相済まぁんだけじゃなかろうかねぇ、そこいら神様の垣間あんた通うとらんだと。
はいかどを見て今日ですね、いまいう、今日新たに確かにその相済みませんちゅう思い、そしてあのうそれを思わせて頂きました事はですね、あのう石井さんの試験がちょうどあのう昨日が発表でした、一昨日ですか13日の日が発表ですもん、じゃけぇならお願いは一生懸命しとりましたけれど、こんだあのうあの徳子さんの場合がこんだ堂々だけん、神様にゃあのうこん次ぎんとは問題せん、これで20年ばってん今度んたぁもう仮に受けて見るとじゃけんで、あのうどうでん良かごたる風に言いなしたですもん。
それけこっちももうあのうあんまりそげん真剣にもならんで、お取次ぎ頂いとっただけじゃったですけん、ところがあのうあんのんが来てから、今日はおかげ頂きましたちゅうてあのう通りましたからちゅうて、あのう言いましたですもんね、そん時お願い石井さんどげんじゃったですかぁと思うて、それが一生懸命思よりましたですもん。でなんの連絡もないけん、こりゃどげんじゃったじゃろうかと思うて、そしてあのうそれがちいと不安になってきてですね。
そしてからはぁ本当にこりゃもう神様を軽うみとったなぁ、このこりゃもうねいこさんあるかていがこっちが本当に、神様を軽うみてもううすらぱぁっと位ななんでえにしておったじゃん。もう親先生あぁなたにこういうおご苦労、苦しみ与えよるとに、こっちがこういう本当に軽はずみじゃったなぁ、それでもう有り難い言うか相済まん方が本当に、どういうこげんこげんなんですねぇ。
今日はもうつぶさに思わせて軽う見とったです、それで今日あのう久富先生にお詫びさせて頂いて、お詫びして下さいち申し上げましたけど。本当に軽う見とるです神様を。
共励会有り難かった、ざぁっと怒られたぶんにまた有り難かもんじゃけん、また怒られたらがおそろしもっていき、あぁもう3分経つ。
そかぁもう深刻にですたいね、あのうわひひして、あのうだからあのう場合はそこが、まぁ言うならそんなんちゅうか椛目のえいちゅうか、そのうそのう怒られちからそりゃそうじゃろうばってん、私もこげな考えじゃたっち言うてさきはね、まぁあんただんおかげ頂いとるとですよ。おごられちからがな。
しかしあの時にゃあのう皆んなおかげ頂きながらだと思うですね。人間、人間心が中心であるとねぇ、その事についてあのう住友と言うていきてきた思うんですよね。住友銀行の住友、住みという字は人偏が主と、みが主と人が主という事、それか友はそのうだから今日の集いはもう友達の集いじゃん、いうは美登里会の人達の集いまぁ美登里会のごたる訳ですたい。まるきりねあのうあれが記念の式典があるですたいようね、こう言う事で私がお祭りが仕えられんち私が言うた事ですけどですね。
神様を中心にしたお祭でないから、ちょっともうほんとそうですもんねぇ、迂闊にしてから神様中心にしてそん人を中心にする、それが全てにもう神様を軽う見とっちゃるね。
ただおかげ話と、人を軽う見ると言う事もおかげにならんばってん。神様を軽う見たらいよいよおかげにならん。神様の働きのかってもうなくしてしまうなっ。
今度はひとつなんかないですか、せきどうひとついっちょう。
あんたもう腹ん立った事は。
それはそけんであのう、あんでるとしてっとうのかわばしげんとじゃが、そのこ出て来んからそうじゃなくても、やっぱ腹ん立つどうじょう。
ここんたぁいっちゃならんとを10話さるるけぇのいっちょん話じゃんの。
そらそうね、私がっせい、そのうあんたが理屈か事ばっかり言うちからっち、なんか夕べも何かそげんことば私言うたげなたいなぁ。よういわんとでもなんともかんも言えんような雰囲気だったでしょうがね、古賀先生。けれどもそのうだからそのう先生が理屈ここちゅうたりするとがもう、自分がこうと思うとる訳ですたい古賀先生がねぇ夕べ。もうそれで夕べから話しとるとだけん、それけんもうやっぱぁんところはですね。だからそのうリズムしてかつと言われる。
理屈から来ると言われてから、腹ん立つちゅう事がです既に理屈くになりなりょる証拠じゃんな。なっもうだがら問題はくさね、もうとにかくそのう夕べもその問題だけもう溜まりに溜まっとるとじゃん問題はね。だから夕べの事をなんかの例えば、あのうキリスト教とか仏教なんかを、例に引いて言うたと言うな事は、あれじゃなかもんな実は。言葉ではね、そのうものを何ち目何ち目からずうっと前から、ずぅっと前からこりゃこうして拾う訳にゃいけんから。そのう言うとでたま溜まっとるなら。
そんな事ないですよ、そんな事絶対ないですよ。
やっぱ古賀先生は将来そいうふうであんたぁあづこんにきはです、古賀先生はちょうどほんにおかげ頂きょんさるじゃん。昔はですねあげん言いよらじゃったですもんね。で今週中やっぱほんと私が腹かいたが良かと思うと、この人は腹かかん事が意味がないけですね、で腹かいちゃるとば根っこだすが良かばいあんた。
しょうがないですね。
本当ならですなちょっとやいて。
だいたいなら今日はほんと根っこのとこじゃんね。
おそれどげんかして一生懸命。
であのうしてきたいちゅう事は、本当私は有り難かったですね。今日はずうっと後から考えてですね、今親先生のお傍でおかげ頂いてると思うんですけれど、あのうこう言う思います事は、あのうなんかこのう自分が楽になったちゅうのは、あのう自分ののういちちゅうのはもうないってことは、段々分かって来たように思うです。ところがですね今日あたりの御理解聞きよるとやっぱ、なんかこう自分の言うた事ばほんなこつんごたもん風に、あのうおもうちょっただろうと思うてですね。
ほれでまぁそのう自分としてはまぁちいたこう、良かこと言うたごと気色でおるもんですけん。もうそれをまぁ今朝の御理解聞かれたらわかるけど、まぁあぁ言う風に言われたもんで、そのうちとかっと来た訳です。
今日はやっぱぁあのう本当に自分の、ならあっさぶん自分むなしゅうさして下さいちゅうことは、お願いしとるのに、もうあぁいうもう応用問題で来るとここんとこは、来るちゅ事はですね、本当は相済まんと思いますし。
私が言うのはね、私はもうここもから2年も来ておるのに、そのう椛目的にならないていうことね。私の一番の悲しいまでの思う事は、もうどうしてこう椛目的にこうしなきゃ。
先生そりゃ先生はやっぱせっかちでござるけぇ、そげぇんにゃなれるもんじゃありませんですばい。それけやっぱ大目に見てまらわんと、ほんにそのうそりゃですね、私は思いますよ、もう記念祭が3年もならさるでしょうが。ひじおさんが3年ごそごそしちゃるですよ、向こうはそのう青年部会で、私は3年3ヶ月居ったんです、ならこもうりゃまぁ皆さん達があんたぁもう何年にならしゃるかね三好さん。
もう5年位に
もうそげにもなりますとでしょうが、やっとこないだからちっと椛目にやっときょるとじゃやけん。上におんなさるけん見とるかよ、見とらんでしょう。そのう何時も皆さん達とよりゃごふくしょうやかいちおういぎに見える、であなたたちゃそのう行くの時代いいっちょん椛目時代におちん訳ですたい。そのやっと5年経ってからどうやら勿論先生になりゃ2年ここけぇつまぁお傍おるばってんですね、そげぇんあのう言うちゃこうならんもん。
私はですねいっつももう掛かり切ってから育てよるでしょうがねいうならば。それにこげん何時までもわらんじゃろうかっということがやっぱ焦るですよ。
やっぱ古賀先生はやっぱ頼るとは皆んな頼るじゃん。それも私方なんかは段々私共もは、こうこう私共がたてられますよいつもあんた21とこしい私がいつも言う様に、若先生に何時も言われたちゅうてから、ばってんがいじめてからいじめがいがきょうありだしたですもんねこすと。例えばなら今日で言うなら古賀先生、あなたが韓国がよかですばいちゅうて、昔なら黙ぁってからもう又いらん事言うちょると言よったですもん。近頃はほらちょっと言うてもかぁっと出て来るでしょうが。
あれだけ椛目の流儀になって来よるですもん。じゃけんこりゃもう先生がやっぱりあんまりそうなさるもんじゃけぇ、まちっとがたいをもう梅干しのごつしそに漬けとると思いよるばってんか、赤こうならんもんじゃけんですね、やらやらしてからもう漬けもせんどってからもう漬けもせどってからに誤飲があるとですもん。でもう皆んなあんた10何年掛かって訳きゃ分らんとかばっかり揃うとるとじゃけん、そりゃぁかっとてもいけませんが。それよかがせんもいっちょんまぁ行く様にまぁいくようにならん。皆んなしてから。
それがですねまぁ私と一緒ですね、ちっと勉強したけんまぁちいっとこう早う呼ばれたかったんですね。だいたいしかたがなかった連中が、やっぱ呼ばれたかったちゅうです。それだけの事をよね、あのうあれをあれを中心にして自分にあすこに、自分の信心に中心があるんじゃながいきさね。
それはいっちょん感じんな、あんたがそれをえばろうと思うていよるとじゃないちゅう事、そんなふうな事そんな事ぁないかね、まぁだ根本的な何かがあるけ何かが狂っとる。そりゃあんたがそりゃ私だんもおっとあんただんどんが話し聞いて、やっぱあのう勉強せんならんなと言う事をむしろ思う位です。
あぁその点古賀先生場合はですね、もうこうのはけぇつがせんせいのは心の掃除じゃろうが。そしてからそのうだからこのよに厚かましく取り巻いてるのは、麻生とか嘉朗じゃもんじゃけぇそのう、油そのう生前中はみんな心でもう椛目流にのなかっでしょ。もうそれでもうそのう揉まれる込まれるする訳ですたい。末永先生の場合は。もうどげんこげんなしっちゃもういっちょう末永先生の希望でから、もうおなし事に成ってから片一方は変わって片一方はそのう色んな別なもんですばって。
もう死のうかと思いよるとこじゃろうが、さがしんの場合は大体あすこまで詳しいとまで、あすこまでいっとるんじゃけぇもちぃっと位、いっちょう爽やかにしてくれちゅうもんがやっぱあるとじゃんな。
私しゃ古賀先生の場合は思うんですよね、恐らく椛目におる間はわからないち思う。だからようとそれけんでしっかりあのう、いわばだから古賀先生の場合なんかは、もう夕べなんかはですね、先生からどげな事言われたっちゃ、腹かかんぞといわにゃんごと、昨日は頂いとじゃん夕べは。そうじゃったでしょうが。いやぁ先生はもう俺の場合よもじを頂いとるばいの、と言うな事を昨日は与えとりました。そして今日はいうならガチャっとやっとるとじゃけんね。
いわばこのう神様のしかく自在と言うかね、だからそのうはぁ生かして貰う事なんばってん、どげな事頂いたっちゃ心を殺しちゃならんぞと言う稽古がね、なされていかにゃけれども、やっぱりもうちょっと一時は死んでしもうとる訳たい。ようにそのうだからそれでそれでいいんじゃないかと。そして布教にども出てから、はぁ先生が言いよったのはここにきじゃったと、言うな事が恐らく分るとじゃなかろうかと。
そげな意味ではやっぱあのう古賀先生は一番候補だと思うごとぁ、外のもんがそんぎゃしたこっちゃ先生があっても忙がにゃ、あんな考え方のごたもんなぁなかもんなぁ。ばってんがもうやっぱそこんにきゃもう古賀先生は恵まれとると思うなぁ。これはなら外のもんならですよ先ずぅまぁ1時間ぐらいせんと、先生はだいはからと思いなさる、そこに3時間もしょんなら大概忘れてしもうちから、もうどっかへ出てしまう。
古賀先生ならまあぁ1日かひと晩中に立ち会ったちゅ位やっぱり、そのう考えようるとほんなこて、こげん有り難い事はなかですばい。
だからっさい私が私がそげん思うようると。こげん有り難か事はなか(同時発声で聞き取れず)ほんなこて親先生はこげんあんたおどんが事なら違わんで、さんいごをことを(同時発声で聞き取れず)もうちんぷんかんじゃろ。
そう言えば本なこて腹かくちゃどうしたこっちゃろうかと思うんです。
それだけでもほんなこて考えたら素晴らしいと思うもんも、それをそげん聞くならその人たちゃほんなこて涙の強いですたい。そりゃ古賀先生は反対腹かいちゃる、いかに自分が間違えとるかは(同時発声で聞き取れず)
そこにきゃねぇまぁ考えようによろうばってん、ほんな事言うとそりゃそげんなる。
そしたらっせ、大和さんがそういういってかえさっしゃったとはね、大きな愛という字にね漬物石をこうやって乗せなる風じゃったげな、この御理解を頂かれたのが、それだからね、だからもう本当もう言うならば、だからまぁ悪う言うと愛の押し付けですたいねありゃ。
しかしまぁ有り難いこっちゃあるありますたいね、文雄先生があぁ一晩のせるとばっかりに、今日会話をちゅう事戴いたんじゃけんですな、だけそりゃもうやっぱ古賀先生がひとんとですたい、(同時発声で聞き取れず)
ほんとにですよ、私だん本当愛の中に大概何かと言うものは感じた事も無かったです本当。ふん。成程あのう言わば何と言うですか、天地の親神様のがね、例えばなら私どんが悪い事したけんでと言うていちいちはぁけされめいが、もう黙ぁってわからかしのされるようなもんでね、そういうものがこれになからにゃっさい、人は本当に育たんだろうと思うですね。
先生があんまり早う育ってまらわにゃこりゃちっと困りますもんねこれがまた。
でも古賀先生が2年居ってすっさい、ふんならもうどんどん御神意でもどんどん伺うごつなったちゅう言うなら、神様がどげん思い上がってからね、またおぎやの元になるやら分からんですけん、そこんねきはまぁ良かとこあるごとせにゃいかんと思ゃでうね。
その代りやっぱそのういきびたりで、やっぱぁそのうここに縁があって来られたこつじゃから、とてもそりゃまぁ有形無形以上に。
そりばってんから今日の御理解でんもし大久保先生が聞いて頂くなら、はぁあげんして育てて頂きょるばいなちゅて喜んで頂く様に思うですの。のおうや。
こりゃそげな風に取って頂きょるなら良かばってんか、馬鹿じゃなかじゃろうかいうて。(同時発声で聞き取れず)
そげんそれが無い時きゃですね、次はたがいしんもとと分かっとるけん大体。
大概そげな風に。
あのう親こうと思うてですな、馴れ馴れしいですけれども、まぁ我慢して(笑いと同時発声で聞き取れず)、あのう17日の日にですよ、あのう親先生をお迎えしましたんだの記念祭にですな、したらあのうすぐまた休まれたです、おなかが痛くなられて1時間ばっかりでですな、2階でこうお待ちしておりおりましてですな、それから降りて来られる時には奥様がですよ、親奥様があのう、何かあのうこうぐうと言って居られたのですよ、なんかあんまり食べられたらよしとけばいいのにと言うな風にですな。
それで分りました、で親先生そん時小さい方でですな、なんのなんのちゅう聞こえたんですよ、あのう私達はそのうよく言葉が盗聴するでしょ、あのうこう若い言われた時にゃ違うとまぁいちにん、裸になっとる風邪ひいたっち言うなら事言われる時ですのう、あのうそしょうするたぁわが言い出したのはあのう、親父様があのう福岡に大橋に行かれた時にです、あんそれこそ帰ってこられて大きいどうぞうを掘られた事があるんです、あのう親奥様はからがですね。
で親先生あたしをそこににほんがえそんな長く居るともう、私じゃまぁ寂しいもんですからですなぁ、そのうおうちぐど心ありしも、親先生人情に強ぉいところと神情に強ぉいところが微妙が、あんまり強過ぎるか周囲のものがちょっとこう見よるとこが。(笑いと同時発声で聞き取れず)思うんです。それかあのうりょうみんがあんまり強過ぎるからですな、分らなくなってごそっというほうらえると思うたら、ごそっとやられる様な時があるけんで。
りょう目が強過ぎるんですあんまり、それからあのう(笑いと同時発声で聞き取れず)それからですなぁあのう三橋先生の久留米へ、こりゃもう重大な問題ですけどな。久留米布教を親先生頂かれたんですな。あの時はそのう親先生がまぁ元気の一番いい時ですな素晴らしいですな、あのうなんでもそのう親先生、親神様から頂かれてですな。とにかく勢いの激しかったです、で勢いのあんまりですよ元気なあまりにそのう、まぁ浮気ちゃなんですけど出来たような格好でですな。
私は思ようりましたですそれで、なんもそのう久留米教会にせんでですよ、20年ここと椛目とですなまぁいつみてもここ1本にした方がですな、皆んなおかげ頂くと言うてですな思います。ところが親先生いっつうも10年間励ます言葉ばっかりやったんです、あのうよう我慢して来たです、段々辛抱強うなってですなぁ、もう良くなって行かれるほどになられるばっかりじゃったんです。私はそえんなると思いよった、そしたらやっとこんどですよ、あのう言って見ればそのう皆んなそのう家の信者ばっかりじゃないか。
家の信者ばっかりでおまつりつかえなん事でですな、いっちょんそのう久留米のそのう、三橋先生信心を見よって、助かった信者一人も居らんじゃないかちゅうな、風で頂いたんですけれどもですな、彼がその時に、石井さんのような高尚な人もおって、何事かっち言う様な風に頂いて、何時も母がいつもすみから苦しんどりました。見事にですなもうはやして怒られたような気がしましてですな、で母に言いましたんですよ。あのうこれは親先生お腹壊されたんですからですな。
こりゃ親先生がですよ、大体その私そのう、私が前からこのう久留米教会がですなぁ、出来てもういらぁん事をですな、それをもうあちこち布教ちゅうな思い出でですな、もう勢いのあまりされたですな、それは私反対しとりました、今やっとですな神様からそのうおとがめをですか、頂かれてもう何かこう明るいたら何かこう(一斉に笑い)ですな、いってみようかこう自分が信者ばっかりじゃないかっていうですな。してもう決してそぅとですな、三橋先生怒られる事は親先生は自分で自分をですな。
もうやかましゅう10年振りに仰った事じゃないかとかですな、そんな事を私思よりました親指ちゃんと怪我しまして(一斉に笑い)そらぁほんと申し訳ない事ですけれど。
あん時ゃやっぱあんなあん時ゃ覚えとるでけんそのお直会は、私しゃお神酒一杯頂けなかったんです。と言う事でふくいんを連れてお祭仕えようと思ったら、お腹が痛み出したんですよ、それけあぁたさぁ後で床とるやら、もう勿論寝やしませんでしたけれどもですね、それで私があのうこりゃ御無礼が出来とると思うてから、お伺いさして頂いたら住友ち字を頂いたね、いわゆる人を中心にしとると言う事なんですね。そこで私はここでこの一言だきゃ言うとかなきゃ分らんと思うてね。
おかげをまぁ頂いた訳ですけれども、結局あのう5名の席になってから、あのう御馳走見るだけで頂けない。好きなお神酒も頂けないというな、結局みずはましておる私じゃろうと私思うたですたいあん時ね。あぁして清さんが言われる通りの事です。
あかしたらはがいいですねあるとウイスキー1本も。
やっぱあの時はですね、もう親先生に喜んで頂きたいちゅうもう思いばっかり、もうひとつでんあのうしゅっかんばっかり修行させて頂いており、ほんに喜んで頂きたいとそげん思いばっかりですよ。
大体ありゃですんね、親先生喜んで頂くちゃあげなこっ喜びさらんはずを知っとる事にたい、あんたその事言ったじゃろも。
とても私がねおごってつくったぐらいなこっちゃ誰でん喜ぶかって。それがまだ分らんかっちのや。そして言うた事じゃった。
そげんあるとあのう後からですね、あのう頂きなされる風じゃ。
そげなことで頂こうて事がねんせいが、何のために来なさるじゃろかち、私言いながらあなた帰っとるちゅじゃった。
それがですね大体がそのまるごとつまるとがですね、去年の10月にもう記念祭させてもろた積りでおっとですよ、今度はですねあのう記念祭に合わせて美登里会をさせて貰う、そしてその美登里会の共励会に親先生に来て頂こうと言うて、これでこんな思いがしたです、それきあのうじいさんべんのお鏡さんのないじゃないか、なんじゅでそげん言いなしたばって、こりゃねぇあのう。
それでそりゃさ、もうすこし要領ようさ、それならそげな風にお届けやると、いかにもあのう久留米のよう、そして10年の記念やからな、そのう記念祭をするちゅうな風にお届けしとるもんじゃけぇ、ほで。
祈念祭と言うのはねそりゃっさい、先生方のみらいほどで、例えばあのういわゆる布教祈念式でしたいね、だから布教記念あのう式と言う、記念祭と言う様ななものじゃないけれどね。だからこのう同じ記念式でもね、記念式でも一つの1年に1回のお祝いだから、それは先生方でも集まって、言うならばあのう皆んなの信心あのうおかげの頂ける人達ぐらい集まってね、頂けれる様なお祭の雰囲気に何故せんかと、どげんか出来る様なけんで、今日は行かれんちゅうごたる風で。
家内でも言うとったらいいごといくらもあったですからね。それもそういう私しゃお届けもあっとたし別うちにゃなかったたい、で実際私が場合はっさい、神様に頂くからいいとじゃんな。で今日の場合でもそうばい、今日の場合が夕べ例えばなら一晩中やすまなかって事でもね。私それだけならなぁん言やぁ夕べそれを、御理解にも出来し無茶せんです、けれども今日そのういわゆるあのうコハダとあれの御理解を頂いたから、ここんところを皆んなにもね分ってもらわんならん。
いわゆるこのコノシロから出らなければ、コハダに成れんと言うところをね、あのう聞いてもらいたかった。
そじゃったらあのう美登里会とですね、なんかあのう記念と一緒にするという事でやっぱ大体いかんでしょうかね。
そりゃよか、そりゃよかっとるさいよかばってん、そりゃよかばってねぇその中心が美登里会やったとこに何か御無礼やったね。
あのう聞き返しに岸さんが言いなしたですもんね、早よ美登里会を始めんと親先生来なさらんけ時間がなかですばいちゅうて、あのう早うあのう共励をしようらにゃこて、もう時間がありまっせんけんちゅうて、岸さんがほっと出来しもうて、それけんそんならあんのんにそれけ一緒に来て下さいちゅうて、私はあのう思い付きばさせて頂かにゃんけ、それでやっぱ美登里会しにに、あん時ゃいまやって来たようです、それで神様にお届けしたりたり、またなかにゃににんぶくろしとかにゃ。
それをそうとうあの人はあのう、高宮の教会と先生が亡くなられたそうです。今日お葬式だそうです。
かわせきでっしょ。そうでしょうそうあるとです。あのうあすこの前を通らせて頂いたあすこんにき、私は御本部に。
もうあのう端からずうぅっとあのう隅の家をですねぇ、どしもつかんぐらいあのうかじをずうぅっとあのう。
それでもこうあのう、教会を出てあのうこうあのう。
教会から出てきたと知らんもんですからね、
このっさい私しゃ思うもんなぁあのう、お徳に触れた先生ね、お徳に触れた先生があんまり人情使いよると。
みんなおかげを落とすな、それで先生もそげやったろうが、最近私どんが場合なんかは、お前やぁお徳とお徳ちゅうお徳でもないけれど、本当にそこに言いたい事の言いたい放題の事しよったら、私どんでもほんと危なかと思うですね。もう私なんか何時もそげん思うんです。だからもう本当もうしかたぁしかたぁもない事でねぇ。私はもう本当人の非難やらね、もう教団の非難やらと言った様なもんじゃなくてから、もうそのうそれをただもうおいお祈りだからと言う様な気持ちでねぇ私達ちゃ。
おかげ頂かんならんならいよいよお徳を頂いてから、もう言わんですむ私にならにゃいかんなと言う風に思うです。もう今日はよしああのう高宮の先生なんんかの、亡くなられた話を今日あ、桜井先生から今日御返事聞かしてもらってね。まそのなんかヒヤッとしました本当、中々お徳を受けておられたですもんね。よしかせんせいはね。けれどもよしか先生のこんな事言うちゃならんばって、やっぱよしか先生が亡くなられたと言うな事で、いわば野田先生の亡くなられた時には。
ほうらみれと言った人が教団の中にはだいぶん合った様にですね、やっぱあるですね。はぁま福岡なにものでしょ、だから本当にあのう皆んなから、あのう私どんが教会なら教会、教師なら教師にならして頂くでも、本当にあのう皆さんから祝福されてからのもんでありね。亡くなる時でも皆なさんから、例えば言うなら惜しまれてと言った様なね、かぞえのねぇなさったかねちの残念と思うですたいね。そりゃふみと先生当りのような、まぁ全教的にもうあんな有名な先生だったけれども、何時もたいかい先生は対立でね。
いわゆる教学と神徳の対立だったんですから。ですから結局教学に対する神徳が大変薄かったと言う事だきゃ間違いないですね。教学の本当かっこたる言わばね、そのう神徳どっちがどうちゅう訳じゃないで、それであぁんほら教学って言った様な雰囲気が教団の中に一時あった訳ですよね。
そこんねきいっちょう青年部の方達どうぞ、それに栄四郎先生。
新参もんでね、相済みません。
ま先ほどもお話ありましたけれども、あのう親先生のお喜びはを私が言うとおかしいですけれども、とどこおりの貰えるような私になると言う事に、そのうおかげがその喜びのおかげが付いて来ると。それからそれを行ずる事によって、天地の親神様のお喜びになるから、それにまた倍してそのおかげになってくるというな、話があっとたんですけれども、まこれを私なりにそのう、おかげ頂かして頂いた事を話さして頂きたいと思うんです。 だからどう言う心の持って行きようで。それじんをそのう有り難い心が生まれたかと言う事を話さしてもらたいと。
今年はまぁ皆さんもご存じの様に、そのう非常に椛目の飛躍の年柄になっとると、言う事でまぁ発生した訳ですけれども、どうでもこうでもその御用の一員に立たして下さいという、願いの元に今年は私はまぁ送らさして頂こうと、言う事でまぁ家族全員あげて、その思いに立たしてもらったんです。そこでそのう私商売さして貰っとる関係で、商売の売り上げと言うものが非常にそのうおかげを蒙って来る訳です。
ところが行事があがると資金がこう回らなくなる訳ですな、それでそういうところにまぁある方がそのう、金を貸そうと言う事に成ったもんですから、それに交渉に掛かり出して、まぁ親先生にもお届けさして貰って、やっとたらまぁならなかった訳ですよ。ここの所からまぁ私のそのう修行っというものが、そのう始まったんですけれども、そいう時にまぁ親先生にお届けさして頂いて、まぁそのうならん時はならんでするおかげでして行く、私でありたいという思いもあったんですけれども。
いざそのうならんと言う事になって来たら非常ぅに、そのう合点のいかんものを感じたんです。ところが親先生だったらこういう場合でも、そのう喜びで受けれる心をもっとられる、と言う事をもうしきりにそのう思わせてもらう訳です。と同時にそのう足りんと言う事は今までの私が、そで天地の親神様のというかそのう、天地の法則と言うものに従えない私だったから、そのう給ってくれん訳ですよ共にですね、そういうものをまぁ大橋の兄やらから聞かされたり、親先生の御理解を通して聞かされて。
それでも尚且つそのう私が喜べる心を頂きたいと。言う思いでですね末席におったんです、すとある時と言うのはこの前の土曜日ですけれども、先週の土曜です。あのう椛目に参らせて頂いて、あのう久保山先生からこういう話聞いたんです。そのう朝参って来よって、本当に最近は本気であのう自転車にお礼が言えるて、でここへ着いたら手は凍えとってもサドルに向ってから、有り難いと言う事がそのう口伝えに、その人と話す様な感動頂くと言うな話し聞いたんですよ。
それをそのう私が合点はいかん思いの時に思わして貰うんです。ほたら家に帰る帰るその御危難さして貰って、もう夜でしたもんですから、そのう大きな大祓いば上げてですねバイクであげて家まで帰り着いたんです。そしたらそん時に神様その感動をそのうと同時に、そのう中間で思うのにですね、親先生も有り難いちゅう答えが出ると仰るし、久保山先生もそれが出たと仰るのに、私に出れん筈はないと言う事で一生懸命その縋って行ったんですよ、で家に着いたと同時にそのバイクから降りて。
こうバイクにあんた済まんやったなぁと、今までそのう私が全くそのう思いを掛け切らんじゃった自分を、まぁ相済まんじゃったのうと言うてそのう、まぁ声に出して話したんです。と同時にまた家に入っても、その感動と一緒に、その家にもお礼が言えるし、製品に対しても、まその時申せましたもんですから、しきりにそのうお礼を言う稽古をさしてもらったんです。そしてその明くる日がまぁ日曜でしたもんですから、大体家は店休みですけれども、そのう朝からそのうお客さんから電話がある訳ですよ。
そしてまぁ5、6足そのう販売が出来たと言うな事に、この時に神様がそのう私のつたない思いにその実証して下さったんだなぁと。問題はだから如何にこれを持続さして頂く事を、そのう和賀心と申しますかね、喜べるこの心を持続さして頂く事に、今後努めさして頂こうと言う事に、まぁ今あのう取り組んでおる次第です。
いまかぶとりますからいよいよ嘉ちゃんが、まぁ遠慮しながら話しをしたんですけれども、実は今年はまぁ売り上げの目標を決めとりまして、1月は去年のまぁ10倍言うたちゅうな売り上げをそのうしとる訳なんですね。それでそのうまぁ現金でもちろん売る訳じゃございませんですから、どうしても資金が足らないです、余計売るからあのうもうそのうすぐ回収は出来ないし資資金が足らない訳なんです。そとだからその事をある方に何時もごらかたしてる言う方ありますけん言ってお願いしたところが。
そのう兄さんが保証するならばだしてもよかっちゅう事だったそうです。銀行から借りてやると言う事。それであのう親先生にお届けしたんです。だからその前に家に来たわけなんです。それけんちょうどそのうその時私がここの4日会でございましてから、4日の日にゆっくりあのうそういった会議がいつもございますもんですから、いつも会場に掛かってその時頂いたのが、先ほど申しますそのう高橋さんのお母さんの頂かれた、御理解を私頂いて帰っとったんです。
私もびっくりしての嘉ちゃんが来てからそのう、ほんならはんを銀行にの手形を書いてあったちゃ、もうそりゃひとっつも私しゃそのう痛いも痒いも無い訳なんです。だからおしてやったちゃよか訳なんですよ。私はその時にですね。この人に押してやるよりもここでもういっちょうそのう、勉強してもらわんと困るね。私はその名も通っとりますもんですから、自分がその通ってきたっちゃから私は押してもろうて通て来たんじゃから、これじゃ又またぞうろ本当の力は出来んからと思うて。
もうその話は嘉ちゃんにはしましたんです。電話で親先生にお願いしたところが、あのう親先生が成り行きがうまく行きゃ、あのう借っていいよ地言われたちゅう訳です。私が昔ならもうそれでなくても、言われんでも私ならもう、もうばって押してきたんですから。ぽんと私は判を押した銀行貸してやると言いよるとですから。私が知らぁんふりしてからそのう、その4日のごにやとり話したんです。こげな風で嘉ちゃんがこげなふうじゃったぜ今日は。
それで非常にそのうまぁ元気出て、元気は出たもんのなんとなく立つが立つまですね、立つ時にゃ私から判押してやるぞち、言うじゃろうと思うたらしいと、私はもう睨んだんです。私しゃわざと知らぁん振りしとられた訳です。こっちの方におってもう一時過ぎまで家におりました。私は知らぁんふりしてからまぁ一辺言うならどうか言おうかと思うとったばって、言わんもんじゃけんならもう別にそのう、押してやりたくないから言わず、もうそん時きゃほんに私も淡々ですからね。
この間あのうほんにいつもあれが熊谷さんちゅうとがありますけれどね、あの人達があのうげきずいにこんだあのう、理髪店とうを世に出すときに300万から金が足らんちゅう訳です。その時にもですねあのううちの家を貸してくれちゅうてから、私は「はい」ちゅうてから押してやったです。もう誰ぇにでもはいちゅうて押してやっとるです。そした時ですね銀行にあのう親和銀行でしたけ、銀行に行ってからあなたがふあにどんな関係ですか、あっちゃ特別親しゅうしとりますけぇちゅうてから押してやっとります。
そでそげな風でもう全然そのう大体そのう元が何か生きるならば、そのう別にそげな事私は関係ないっちゃろと思うて、嘉ちゃんためにいや知らんもんそんな金額は僅か20万かそこらなんですから、もうその位前から一夜漬けで私は、この人にはそげな事はもうさせめと思うてからですね、せっかくそういう大事な所を通りょるし、そのう今年こそ本当の御用頂こうという元気出取る時ですからね。そで私が知らぁんふりしとりました。それけんそのう早く言や泣き泣きですね。
それけんこの一生懸命で大祓あげて帰ったと言う。ところがどうしてもでうですね、大祓あげて帰ってもそのう有り難うならん。それけん次はそのう大坪金光あいよう大坪金光大神ちゅうてあぁこのう帰ったちゅう訳。そしたらねやっとあのう西公園ちいうてこうしてもう自分の家と近くなって、始めてそのう今言うお礼を言える様な事に成ったちゅう訳です。それからおかげ頂いて次々そのう、お商売の方のおかげをもうよく私に報告してくれるんですけれども。
まぁ素晴らしいそのう売り上げになってきよる訳です。それでちゅうてから売り上げなったちゅうてこのう商売ちゅうものは妙うなもんで、売れたら金が足りそうなもんばってん売りゃ売るだけ足らんとですもん。そこ当りにひとつ先ほど言うこりゃ天地の親神様の御理解を、お互い行じてないから足らんと言う事をね、いちょうこの際会得せん事にゃねいっその事間に合わんぞとお前やぁ。でこの際いっちょここを会得せな行かんじゃないかと言う事を、そのうおやたいは話したいんですけども。
残念ながら私が話したんではともんですけ、私の名前が言いにくかもんじゃけん、まぁあぁ言う風なちょっと遠からえなせんちょっと私ん時、まぁそう言う訳なんです。しかしやっぱですねもうそのう決めてるわけなんです、例えば売り上げの何パーセントは今度の御用に使わしてもらうちゅうてからもう、それもそれが為には幾らの売り上げをあげにゃいかんっち。したら売り上げを上げたぶんその日のどれだけは、もうちゃんと約束しとる訳なんです。
だからどうでもこうでもそれだけは売上にゃいかん訳です。それがそのう今までのそのう1番売れました2割増しなら可愛いゃ分るとばってんか、ちっと金額が多きかですそれで高橋さんとか非常に皆んなも知っていますけど、嘉朗やるこたやるねぇちゅうてからねいいよりますけん。私はそれが嘉ちゃんに言うとです私が、出来なくても出来なくちゃその勢いとね。それによって苦労しょるごとあんたがマイナスならんっち。だからいよいよならんでちゃそれは別と私は言う。いよいよ足らん時ゃ。
そりゃ問題控えとるぜっと私は言うた事です。したらならあのう親先生に頼んで見んせっと私は、それきちゅうてならお前が憎くてからお前にはもう修行せんから、おさんと言うのじゃないっち言いたかばってんですね、言うたっちゃこれが甘いもんじゃけんですね、まぁ今日は言いよりますばってん。でそげなふうな事情で非常にそのハッスルしとる訳でございます。それでぇなかなか元気出してやりょります。
だからお互いにそのう私はそれけぇ嘉ちゃんとか、そのう麻生さんでもそげな風な事がありますが、今どきの若いもんな私どん嫌うてからですね、そのうポイントが違うですもん、もう信心の持って行きどこが、私しゃ狭ぁか信心であってもこちらだけでですね、自分よがり信心ばっかりしよるです。そこんにきに私しゃやぁもうこないだ親先生に申した事ですから、その私どんじゃ詰まりまっせんばいっち言われた。どうでもこうでも一つあのう今の菊栄会の連中とかですね、ただしえうえさんんとかですね。
それがあかんとかあれがなら勇さんとか私がいっちょあのう、そういう正義さん達じゃんあの若手がいっちょうほんな事ば、気合い入れてくれにゃとても、もうこりゃもう年寄りはつまらんちゅう私が。いつまぁっでも狭ぁい信心のこう昔の信心を頭に沁み込んでしもうとるもんじゃけん。垢抜けんちゅうて私が、そげんちそげん言いながらほんなこてこりゃあれの話を聞きよる、聞きゃ聞くだけですね、ほんなこてまことにいけんなぁね。こりゃあげんして元気出して行きょりますもんじゃけん。
もう自分と言うもののねぇそのう目標違うんです。実は素晴らしいんですよ。だかこらりゃ少うし年寄り組も少し気合を入れてですね、もう俺ゃ10年選手とかなんか威張らなですね、ちいったぁひとつこう青年の意気に燃える様なひとつ、私達は信心を少し習わにゃいかんのじゃなかろうかと。私は何時もこげん思う、こうした話聞くたんびに私は思いますって、ただ麻生さん達ごと例えば笑い話に至らなさきはない話でもですたい、それは10円の中にですね。
これはどう言う意味じゃろうかと言う事を、さっきからあんた3年余りですねぇ。
素晴らしかね。うん。もう問題はそこね。
たったそりゃ3年か4年の信心でこう言う事が分かってきょるじゃないですか。
問題はねその12年のがねぇ多いとか少ないじゃなかもんね。それにそこにあのう御神意を悟ろうとするところにですね、もう後に隙が無いですからね、後がおかげにならんはずがないもんね。それをお互いが迂闊にする、今朝の御理解の中にも古賀先生のその事からですたい、とにかくあのコノシロの中からね、コノシロの中から出て来るおかげを頂かなければね、と言う事について椛目で10幾つ会があるでしょ、それと壮年部会と婦人部会とかと普通の定例の会は別にたいね。
いわばあのう65歳以上の敬親会、それからもうここの中心どもともならなきゃならんという菊栄会。それから美登里会ね、美登里会ならそれから筑陽会、それから13日会でしょうこの。その会その会の性格があってですね、その事に焦点を置いて進まなければ駄目だ、例えば美登里会ならば、ありゃ美登里会を頂いた時にゃ、あのう椛目の朝参りの日参組だけで始められたんです。だから結局地は悟ですね。椛目にお詣りをしてくると、それを修行とさして頂いてですたいね。
しかも美しゅう登ろうじゃないかと言うのが、美登里会の焦点になかにゃいかんとです。そのスローガンを打ち立てての美登里会でなからなければならんということですもうんね。いわば好きなもん同志の集いじゃないと言う事なんです。ただ楽しみの会じゃないと言う事なんです。そこんところに焦点を置いて、そのう本気にならなきゃならない、例えばなら菊栄会なる、ほど椛目のまぁ将来の中心にならして頂かれるだろうと、特別まぁなんかそういう菊栄会で椛目の信心のシンボルのようなね。
それ菊が栄えている会と言う様なそのう、そこんとこに焦点を置かれなければならんのにですたい、果たしてなら菊栄会の連中が、そこに焦点を置いてるかと言う。例えば今年の様に年替えの年にですたい、んならあのう13日会に於いてしかり、筑陽会においてしかり、敬親会に於いてしかり。敬親会なんかの場合なんかはありゃ敬老会とはせずにね、敬親会と言うのはとにかく祖先を大事にする親を大事にするね。あのう親神様の思いを分からして貰うという事だけに焦点を置かなきゃならない。
例えばようと仲良うそげなけちな問題ゃなかって、そこに親をいよいよ大事にさして頂き、また家の中で一番暇の多いそう暇のある人達の集いだから、もう自分達が家の中の御祈念係と言うごたる思いでの信心にならんきゃいけん、そこに焦点を置かなきゃいけない訳で、敬親会。筑陽会はいよいよあのう主人の為にまた親のためにです、子供のためにいよいよ素直な若婦人としてですたいね。
そこんところにいかに焦点を置くかいかに素直にならして頂くかと言う事に焦点を置かなければいけんのにです、そしてそこにスローガンを立てられておるけれども、殻ん中出て来てないから、いわば神様が使うて下さらん。13日会でもおなし事があると思うね。今日のそのさっき私が申しました様に、本当にあのう神様の悲願達成のためにこの会が生まれたと、なら神様の悲願とは何どこにあるかと言う事ですよね。
ただ13日会の日に集まって13日会費を納めて、ただこのう鎮治の共励をするという事だけではないという事。神様の悲願、悲願に応えるという事、そんなこっちゃない。例えばならお建築の事ならお建築の事に焦点を置くいうがそんなもんじゃない。本当に例えばもう当たり前の事が当たり前の事してですたいね、いわゆる親先生のお話を聞けば親先生が喜ぶ。いわば御理解を頂く事はもう金光大神の喜びなのだと。それを行ずる事は神の喜びぞというここのところなんです。
ここんところをせめていわば13日会の人達だけぐらいは、せめてこの13日だけぐらいはそこを行じ抜かせて頂いあてですね、行じ抜かせて頂く事が、神様のこんなにお喜び頂けるもんだという、体験を頂いてそれが13日だけではない、一月一年の上にもですたいね。そういう生活に切り替えられていくという事が、神の願いなのだと。どうぞ氏子信心しておかげを受けてくれよと仰る、おかげはそこからしか生れて来ないんだと。ですからそれにはやはりもういっちょですね。
いわゆる神様がそのコノシロ中から、そのう出そう出そうとする働きをなさる訳なんですねその時。いま嘉朗さんの話といま委員長の話なんかがそうですたい。この人をもういっちょうここんところを分からせなければいけないと言うところに、そのう秋永先生のいわば苦心があった訳ですたいね。そこへ片一方もそれが分からして頂いて、まぁ行きよると言う事だね。そういう手をもってからこうそのう姿勢勘かんなかから、大きな方へね脱皮させよう脱皮させようとする働きですもんね。
とこらが脱皮させようとする動きとですたい、もう逃げ腰になってしまうんですね。まぁ時節を待っておかげを受けたらよかろうごとね。
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